プロフィール
社会人になってからの経歴まとめてみた
トレーナーとしての経歴を振り返りつつまとめてみました。
2013大学卒業後、中学校の臨時教員としてクラス担任もいきなり務める。初任ということでかなり苦労もしたが、同僚の先生方に助けられ、最後は思い出深く終わった。教員という仕事にやりがいも感じていたが、大学で学んだ専門知識を最大限伸ばしてもないし、活かしきらないと自分の価値が最大限に発揮されないと思い教育現場からは一旦足を抜くことを決意。
2014とりあえず中学校で10月いっぱいまでプール管理をしながら、糖尿病や循環器の運動療法を勉強した。女子ソフトボールのコーチ、NPOで心疾患の運動療法に関わらせてもらいながら。その冬から、高校母校の野球部のトレーナーとして携わる。仕事は派遣のバイト(青果の倉庫仕分け、飲食店ホールとか)をやった。このときの社会的な劣等感はきつかった。
2015こんなこといつまでやるのかという不安もありながら、NPOや野球のトレーナーをしながらバイト、最短で心リハ指導士の試験も受けれるように準備していた。10月に求人で行政の保健センターで運動指導士の募集を見つけて、健康運動指導士として働き始める。直後に大学病院にて心リハ研修に1週間行った。さらに経験を積むために県内大手のスポーツクラブのトレーニングジムで掛け持ちで働いた。これはかなり指導者としてのコミュニケーション能力を上げてくれたしやって本当によかったと思う。行政の仕事終わって夕方から日付が変わるときまで、12時間とかだったな。1年半はジムで働いた。同時に心リハの勉強もし続けた。
2016
行政とフィットネスのダブルワークしながら、時間があればひたすら心リハの勉強。教育現場から足を抜いたときから学会に加入して、最短で心臓リハビリテーション指導士の受験資格を得て、一発合格!!!奇跡にも思えたが、ほんとにNPOの先生やスタッフの方々には感謝しきれません。
その秋には、スロージョギング指導員の資格を得て、資格的には有酸素運動のプロフェッショナルになったので、地域活動を加速
2017とりあえず自分の理想の働き方というものをずっと追い続けていた(今もそう!)。とりあえずジムバイトをやめて時間を作って、自分だけで企画してお客さん集めてお金をもらうスタイルでいってみようとした。新聞の広告に載せたりして数名来てくれたけど会議室とかの場所代とか結構かかるし、コスパ悪いと思って早々撤退。笑。これも自力を上げてくれたと思う。一人でも環境があれば、急にそこに投げ出されても瞬発力で対応できるようになった。また個人でもお客さんを得る方向で計画中。どこからでもアプローチ。
2018
どんなしたら健康、医療、スポーツに同時に関われるかどうしようか考えているときに、ホームページで沖縄でも大きい地域総合型スポーツクラブでジュニアの陸上コーチ募集を見つけて申込、採用された。行政の仕事終わった後に、小学生に指導できるのは学びも多く新鮮だった。マスターズ・一般の練習にも参加させてもらって走りながら勉強する機会を得たのも大きかった。100m11秒台出す!
ちょうどこの頃から、他の行政や団体から単発のお仕事もたまにもらえるようになって、30〜100人規模の教室もたくさん経験させてもらいました。同年10月から月に一回陸上クラブからの派遣で久米島に運動指導に。ここで心境の変化が。
2019
これでもまだ運動指導者としての理想にはまだ遠くて働き方をまだまだ模索していた(むしろ健康とはなんだ的な笑)
沖縄本島のような広い地域では、運動施設も多いし、トレーナーもたくさんいてどうしても競争になってしまうので、指導者や環境が整っていない小さな地域でやりたいとふと思って、月一派遣の久米島に移住を決意。派遣されていた施設に常駐、また、現地にある陸上クラブでジュニアの指導もできることに。新たに、大人向けの健康ジョギングクラブも立ち上げて、多方向から健康づくりに関わっているところです。パーソナルで痛みやスポーツ障害の改善トレーニングも指導していきたいと模索中。
現在は、最大限に自分自身の能力を社会のために高めること。この仕事だからあの仕事は諦めないといけないっていうのにはしたくない。子どもから高齢の方まで、アスリートから生活習慣病、スポーツ障害までアプローチしていけるのが当たり前にしていきたい。そして予防医学的な地域へのアプローチも医療・行政としての在り方も模索して実践しているところです。
2013大学卒業後、中学校の臨時教員としてクラス担任もいきなり務める。初任ということでかなり苦労もしたが、同僚の先生方に助けられ、最後は思い出深く終わった。教員という仕事にやりがいも感じていたが、大学で学んだ専門知識を最大限伸ばしてもないし、活かしきらないと自分の価値が最大限に発揮されないと思い教育現場からは一旦足を抜くことを決意。
2014とりあえず中学校で10月いっぱいまでプール管理をしながら、糖尿病や循環器の運動療法を勉強した。女子ソフトボールのコーチ、NPOで心疾患の運動療法に関わらせてもらいながら。その冬から、高校母校の野球部のトレーナーとして携わる。仕事は派遣のバイト(青果の倉庫仕分け、飲食店ホールとか)をやった。このときの社会的な劣等感はきつかった。
2015こんなこといつまでやるのかという不安もありながら、NPOや野球のトレーナーをしながらバイト、最短で心リハ指導士の試験も受けれるように準備していた。10月に求人で行政の保健センターで運動指導士の募集を見つけて、健康運動指導士として働き始める。直後に大学病院にて心リハ研修に1週間行った。さらに経験を積むために県内大手のスポーツクラブのトレーニングジムで掛け持ちで働いた。これはかなり指導者としてのコミュニケーション能力を上げてくれたしやって本当によかったと思う。行政の仕事終わって夕方から日付が変わるときまで、12時間とかだったな。1年半はジムで働いた。同時に心リハの勉強もし続けた。
2016
行政とフィットネスのダブルワークしながら、時間があればひたすら心リハの勉強。教育現場から足を抜いたときから学会に加入して、最短で心臓リハビリテーション指導士の受験資格を得て、一発合格!!!奇跡にも思えたが、ほんとにNPOの先生やスタッフの方々には感謝しきれません。
その秋には、スロージョギング指導員の資格を得て、資格的には有酸素運動のプロフェッショナルになったので、地域活動を加速
2017とりあえず自分の理想の働き方というものをずっと追い続けていた(今もそう!)。とりあえずジムバイトをやめて時間を作って、自分だけで企画してお客さん集めてお金をもらうスタイルでいってみようとした。新聞の広告に載せたりして数名来てくれたけど会議室とかの場所代とか結構かかるし、コスパ悪いと思って早々撤退。笑。これも自力を上げてくれたと思う。一人でも環境があれば、急にそこに投げ出されても瞬発力で対応できるようになった。また個人でもお客さんを得る方向で計画中。どこからでもアプローチ。
2018
どんなしたら健康、医療、スポーツに同時に関われるかどうしようか考えているときに、ホームページで沖縄でも大きい地域総合型スポーツクラブでジュニアの陸上コーチ募集を見つけて申込、採用された。行政の仕事終わった後に、小学生に指導できるのは学びも多く新鮮だった。マスターズ・一般の練習にも参加させてもらって走りながら勉強する機会を得たのも大きかった。100m11秒台出す!
ちょうどこの頃から、他の行政や団体から単発のお仕事もたまにもらえるようになって、30〜100人規模の教室もたくさん経験させてもらいました。同年10月から月に一回陸上クラブからの派遣で久米島に運動指導に。ここで心境の変化が。
2019
これでもまだ運動指導者としての理想にはまだ遠くて働き方をまだまだ模索していた(むしろ健康とはなんだ的な笑)
沖縄本島のような広い地域では、運動施設も多いし、トレーナーもたくさんいてどうしても競争になってしまうので、指導者や環境が整っていない小さな地域でやりたいとふと思って、月一派遣の久米島に移住を決意。派遣されていた施設に常駐、また、現地にある陸上クラブでジュニアの指導もできることに。新たに、大人向けの健康ジョギングクラブも立ち上げて、多方向から健康づくりに関わっているところです。パーソナルで痛みやスポーツ障害の改善トレーニングも指導していきたいと模索中。
現在は、最大限に自分自身の能力を社会のために高めること。この仕事だからあの仕事は諦めないといけないっていうのにはしたくない。子どもから高齢の方まで、アスリートから生活習慣病、スポーツ障害までアプローチしていけるのが当たり前にしていきたい。そして予防医学的な地域へのアプローチも医療・行政としての在り方も模索して実践しているところです。